九星気学、姓名判断との出会い

姓名判断で自分の運命を知っていただき、九星気学で運気を変えるお手伝いをさせて頂いている占湖茅です。
私の占いとの出会いを少しお話したいと思います。
私自身が姓名判断、九星気学に初めて出会ったのは19才の大学生の頃でした。
当時から占いって何だか楽しくて、性格上いいことしか耳に入らないし、今付き合っている彼氏との相性~結婚できますか~♡なんてことを聞いたりしていまして。
それで良かったのですよ。気持ちがスッキリするというか、、、当時はそれで良かったのです。
それまで占って頂いた方は引っ越しの都合もあり疎遠になり、結果的に私を育ててくれた恩師に出会ったのは大学を卒業した後でした。
姓名判断の腕が凄い方がいると聞き、丁度仕事などで悩んでいた時だったので行ってみたんですね。
すると先生は私の鑑定をするときに、まずは28歳までは事故に気をつけなさいと言いました。
実は我が家は事故家系で、祖父は私が生まれるころに交通事故で亡くなり、父は私が幼いころに交通事故で亡くしているので、へー私の苗字がそうなんだなと思ったものです。
けれどその時は『はーい!』ぐらいで流してたのですね。(今なら自分で7系列の多さにびっくりしますが)
正直大丈夫だろうと思っていました。
占いというものを信じているようで、信じていなかったのかもしれません。
全てを都合よく捉えていました。
そんな私でしたが、九星の冬の時期に大事故に遭いまして死にかけました。
更に五黄の方位に一週間海外旅行をし、そのまま帰宅前に体調を崩し病院へ。難病を発症しました。
入院中三か月歩けなかったときにふと先生の言葉を思い出し震えました。人からもらう事故、冬の時期、なんだっけ他にも何かいってたよな。入院中も先生の言葉や数字が脳裏をかすめました。
ようやく完治して普通に生活ができるようになった時、先生の元へ行きました。
その時は今までとは違う気持ちで先生に会いに行きました。
占いが楽しい、の気持ちじゃなくて当時は少し恐いものに感じたりしました。
『私事故に遭いました。100%相手が悪い事故でした』
丁度冬の時期でもあり運気あげるために吉方を取ろうか!と先生は慰めてくれました。
そこで今まで適当に聞いていた九星気学を真剣に学ぼうとしました。
大凶方位である五黄殺にいくのは自分で死にに行くようなものだから、暗剣殺は殺されに行くようなものだから
今なら単純なことでもその時から学びはスタートしたかなと振り返れば思います。
冬の時期に難病を発症した海外旅行。今は後悔しかありません。
冬の時期に自ら大凶方位に飛び込んでいたことを深く後悔しました。
難病発症に大事故、当たりすぎていて恐いということが沢山あったのです。
そんなときにみかちゃんは私のような仕事がとても向いているから占い師になったらいい、教えてあげるから。と言われました。
鑑定で数字をすべて見れる先生から言われたことで、何だか勝手に自信を持ち先生の術を叩きこんでいただきました。
振り返れば始まりは自分の病と交通事故、それが気付きとなり私と占いの関係を深いものにしました。
今では有難いことにご縁をつないでいただき沢山の方の鑑定をし、すればするほど数字と星は面白いな、と思わされています。
これが私がこの仕事を始めることに至ったストーリーです。
